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​わたしたちについて

​「くるみの家」のはじまり

「くるみの家」は、大きなオニグルミの木のそばに佇む山荘です。「み」んなが「くる」・・・で、「くるみの家」。「くるみの家」は、「くる」人「み」んなで創っていくところです。

左から 発起人きよ、発起人の夫のむんむ、アシスタントで姪っ子のまゆ、愛猫のアンコ

「くるみの家」が生まれるきっかけとなった

のは2011年3月11日の東日本大震災とそれに続

く原発事故でした。「くるみの家」の持ち主

が住む千葉県松戸市は震度5強の揺れが2度ほど襲い、その後数日間は井戸水が濁り、スーパーやコンビニでは水が売り切れました。原発事故のニュースが入ってきて、身近な人が西へ避難していきました。住んでいる地区の近くでも計画停電がありました。余震が続き原発事故の収束が不確かな中、緊張度の高い日々に体調を崩す人も続出したのでしょう。普段より頻繁に救急搬送車のサイレンが鳴り響いていました。

 

この時、多くの人がそうしたように、後に「くるみの家」の持ち主となる起代さんは様々なことを真剣に考えました。例えば、あたり前のこととして慣れてしまっている都会の便利な生活のこと。その生活が依拠しているものは脆弱で危険で、いのちと暮らしを守ることとは相反するものだったということ。それでもそこから簡単には抜け出すことができない都市近郊の生活者が背負っている現実。仮にもし自分だけが都市の生活から脱却したとしても、原発を作り出すに至った近代の社会システムからは決して自由にはならないということ等々。

 

「ならばせめて、何かが起こった時に、身内や仲間と一緒に避難できる場所を持とう。

水のそばで、ガソリン1回分でたどり着けるどこかに。

そこに、1か月くらいは滞在することができるような設備を用意しよう。」

 

そんなことを夫婦で話し合い、たどり着いたのが、この、群馬県嬬恋村にある、紀州鉄道が管理する「第2リバーサイド」の一角にある中古の「別荘」でした。

牧場とキャベツ畑に挟まれた川沿いの窪地に広がるこの別荘地は何十年か前に開発されたもののほとんど家が建たないまま。

小川のせせらぎを聞きながら辺りを見渡すとたくさんの倒木があってクマザサが生い茂っていて、空気は澄んで小鳥がさえずり、別荘地というよりはむしろ小さな森の中にある小さな一軒家という雰囲気です。

この森から一歩外にでると、お天気の良い日は優大な浅間山の全貌が目の前に広がります。

くるみの家がある森から出たところから見える浅間山。観音様が寝ているような形に見えることから、「寝観音様」と呼ばれている。

「共創」プロジェクトの実験として

翌々年、お隣の土地が売りに出て、それを、起代さんの学生時代の友人のジョナサンとムーが購入しました。

バンクーバーに住む二人は旅好きで、日本にもほぼ毎年きています。2011年3月11日も日本に訪れていて、成田へ向かう電車の中で震災を体験していました。

「これから日本がどうなっていくかも関心もあるしそろそろ拠点を欲しいと思っていたから」ということで、購入を即決、共同でこの場を使っていこうということになりました。

 

Moo & Jonathan

2015年春、大学院を卒業した起代さんは、震災後の危機感から「何かの時に避難できる場所」として勢いで購入したこのお家をどうやって使っていこうかということを改めて考えました。そして悶々としはじめました。差し迫って緊急避難するような状況ではなくなった今、自分達だけの楽しみの場として持っていることに全くワクワクしなかったのです。

 

そして、こう考えました。

「何かの時」は災害などの物理的なこともあれば、とにかく日常から離れてどこかに避難したいと思うようなメンタル的なこともある。競争原理が色濃く働く忙しい都会での生活では本当に大事なことを忘れてしまいがちで、人間らしさを失ってしまうこともしばしば。自分のことで精一杯にならざるをえなくて、辛い立場にいる人がいることを考えたりできなくなる。まずは都市生活者が癒される場所、こころの支えになるような場所、もし、ホントに人生の小休止をしたくなったらしばらくこもっていられるような、そんな「何かの時にいける場所」にしよう。

 

普段から仲間と「共に創る」ということをテーマに「共創ラボ」を運営している起代さんは、このお家を「共創ラボ」の嬬恋支部として、仲間との「共創」のプロジェクトの拠点にすることに決めました。そうすると、いろんなアイデアがやってきました。これまで起代さんがつながってきた人たちの多くは、障害を持っている人や路上生活を経験した人やひきこもりを体験したような人たちと共に暮らしを創る活動をしています。そんな人たちの合宿所としてリフレッシュしてもらえたらいいかもしれない。その人たちが支援している人たちや、学校に行かなかったから林間学校の体験がないとか、親にゆとりがなくて避暑地に旅行するような機会がなかった子供たちがきてキャンプができるようにしよう。そんな場があるのは「いいね」と思う人たちと一緒に、時に利用してもらいながら、時に場づくりに参加してもらいながら、一緒にこの場を盛り上げて創っていこう、等々。

 

コンセプトが決まると早いもので、2015年の春から改装工事をはじめ、サンルームとベランダを広げました。「ぱぱ男」と呼ばれている起代さんのお父さんからの寄付で、薪ストーブも入りました。カナダの山暮らしに慣れたジョナサンとムーのおかげで薪割り環境はずいぶんと整いました。(彼らは年に2回くらいやってきて、述べ1か月ほど滞在しています)。少しずつ仲間うちに声をかけて、場を体験してもらいました。遊びに来てくれた人たちは、花壇づくり、水路づくり、冬を越すための薪割り等々に精を出してくれました。また、合宿として来てくれた人もいます。2015年度から始めて2017年度までの3年間で訪れてくれた人の数は30名を超えました。

​春先にはこごみがたくさん採れる

​薪の山

Moo & Jonathanの小屋

​庭先でのバーベキューの様子

​ゼミ合宿での一コマ

このようにして、発起人の頭の中の妄想でしかなかった「共創プロジェクト」は、ゆっくりですが、3年経ってここまで来ました。これまで発起人の起代さんと起代さんの突飛な発想に巻き込まれた旦那さんと二人でやってきましたが、2018年度からここの運営に起代さんの姪っ子の真結が加わりました。不登校という形で人生の小休止を早々と体験した真結は、ここのコンセプトに共鳴して、「共創ラボ」に「リハビリ」がてら週1でアシスタントとしてきていて広報を担当しています。真結が「くるみの家」という名前をつけた張本人です。

 

2018年度はまた少しリノベーションを計画中。テントを含めて10人は泊まれる環境整備をしていく予定です。まだまだ常時オープンするような状態にはいかないし、まだまだ子供たちを「ご招待」するまでにはいかないけれど、来てくれた人たちの面々を思い出しながら、一緒に過ごした時間を思い出しながら、少しずつ進んできた歩みを振り返り、温かさを覚えている、そんな4年目の春です。(2018年5月吉日 発起人 起代)

​「くるみの家」共創プロジェクト これまでの歩み

コンセプト・・・どんなところ?

・「何かの時に行ける場所」・・・避難場所、一時休みたい人が利用できるところ

・自然体験、「‟電気”がなかったら」の模擬体験ができるところ

・都会生活の疲れを癒せるところ

・都会生活で忘れてしまいがちな「人間らしさ」を取り戻すきっかけがあるところ

・現代の暮らしの矛盾に安全に向きあい、生きるための学びと休息がとれるところ

・これからの暮らしを考えていくところ

・志に賛同する人が企画を持ち込んで、「共創」していくところ

 

 

・現在の社会のゆがみをほんの少し是正するところ→小さな経済の循環のある場所→生まれ落ちた環境やその後の人生における諸事情から、「別荘」に行くような機会がない子どもや大人が無償または実費で利用→それをサポートする意味で2人分の宿泊経費で泊まる人たちがいるなど。

〈発起人の想い〉

「くるみの家」は、高度経済成長期に都会で働く多くのサラリーマンが夢を持って購入した別荘地にあります。経済成長が止まった今、多くの別荘地ではかつての賑わいは失われ、持ち主の高齢化も手伝って、放置されたままの建物も点在し、閑散としています。手放す人も多く、嬬恋村には年間10区画以上が寄付されると聞きました(2015年の聞き取り調査)。

「くるみの家」もそんな別荘地の一角にあります。ある意味で、「くるみの家」は、経済と物理的欲求を満たすことを優先して突っ走ってきた日本がたどり着いた、現在の日本社会が持つ矛盾を象徴するような場所といえるかもしれません。そんな場所で、現在の社会のゆがみを少しでも是正し、現在の暮らしを見つめ直し、新たな暮らしを考える場を創るというのは極めて矛盾しているのかもしれません。

でも、現在の日本社会が持つ矛盾の象徴のような場所だからこそ、矛盾を乗り越えて暮らしを創るという行為が現実味を帯びるのではないだろうか。。。私は、そういう逆説的な発想でこの土地に立ってみたいと思います。

この土地で、経済成長から恩恵を受けてこようが、周縁化されてこようが、「誰もが、この矛盾した社会に生きる当事者である」という同じ地平で出会い、手を結んで、これからの暮らしに希望を見出していくプロセスを生みだしていきたい。矛盾から逃げようとしても、矛盾は追いかけてくる。それはこれまでの人生で繰り返し観察してきたこと。ならば、この社会に生きる矛盾をそのまま引き受け、矛盾の上に立って創り上げていこうと思う。矛盾を肌で感じることができるこの別荘地で、それをしていこう。人は矛盾を引き受けそこから創造的に生きることを始めた時、最も強く、そして謙虚に生きることに向かう存在なのではないかなと思うから。

この土地には、都会と田舎が入り混ざっている。別荘エリアから一歩外にでれば、村で紡がれてきた暮らし、自然と共に生きた人たちががずっと紡いできた暮らしがある。ゆっくりとじっくりと、それを肌で感じ学ばせてもらいながら、これからに向けて活動していきたいと思う。

発起人 起代 について

1968年生まれ。松戸市で育ち、現在も松戸市に夫と猫のアンコと一緒に暮らす。20代はカナダのトロントで生活。帰国後の3年間、「わっぱの会」で障害を持つ者と持たない者の共同体づくり運動に参加。2002年独立。現在、共創ラボ主宰。研究者の顔も持つ。

 

突飛な発想と行動力で、周囲を驚かすこともしばしば。でも「起代の趣味は自己分析」と20年間寄り添った夫が言うほど、生真面目に考えこむことも多い。感情の起伏が大きく、時々、世の中の苦しみをすべて背負っているかのごとく苦しくなることや、このまま消えたくなることもある。

実は、震災後の勢いで購入したこの家についても、ここが「別荘地」であったということが持つ自分自身にとっての意味に後に気付き消えたくなった。それは、いざという時に「別荘地」を購入するという選択肢しか自分にはなかったということが、これまで自分は社会の大きな流れに抵抗してきて、抵抗しきれていたと思い込んでいた幻想を完全に壊してくれてしまったからだ。「社会システムからは逃げ切れていなかったこと」、それどころか「恩恵をうけてきた側にいたということかもしれない」といったことに気付き、落胆と情けなさで穴があったら入りたくなった。この情けなさは、自分が自分を全くみえていなかったことに気づいたことで出てきた恥ずかしさが入り交じったものだった。もう、なかったことにして、人知れずこの別荘を売ってしまいたいという思いにもかられたけれど、友人のジョナサンとムーが隣の土地を買ってしまったし、身近な人には伝えちゃったしで、引くに引かれず。

 

そんな時、この家に来てくれた友人の「起代さん、こここそが、現代日本がたどり着いた現実だよ」の言葉に背中を押されて、ようやく開き直りのプロセスへ。清流のほとりの古民家で田舎暮らしを始めましたというよりも、閑散とした別荘地からこれからの暮らしに向かって何かを始めますという方が、高度経済成長期に企業戦士としてバリバリ稼いだサラリーマンの娘がやることとして似合っている。少なくとも、これまでの私の人生の延長線上にある動きであることは確かだ。

 たき火すらできなかった都会育ちの軟弱者が、薪を割って、薪ストーブに火をつける。草むらに何かがいる気配がすると即座にドキドキして足がすくむ軟弱者が、森と思い込んで買った「別荘地」でキャンプをする。きのこを見つけても見分けられず食中毒が怖いから、結局食べることはできず悔しい思いをする。そんなことの繰り返し。自然と共に生きてきた人からみたら「おままごと」にしかみえないのかもしれないけれど、本人はいたって真剣そのもの。色んなことができず、色んなことが怖い、等身大の私が、電気がなかったらすぐさま暮らしていけなくなるような私が、そのことを認めつつ、「暮らし」とちゃんと向き合うような色んなことを試してみればいい。

そう、ここは、私が、等身大の自分になって開き直ることができる場所です。

だから、ここでは、等身大の皆に出会いたい。

 

一緒に開き直って、一緒に安全に矛盾に向き合って、そんなことをするからこそ出てくる原動力をもとに、一緒に未来へと続く活動を創っていく、そんな仲間に出会っていきたいと願っています。

 

起代のお仕事と経歴はこちら→Kiyo's Official Homepage

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